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『 わたしのビジョン。神さまのビジョン 』
みなさん、元気ですか?
新緑の季節。さわやかなシーズンになってきましたね。
また、気分も新たに、はりきってやっていきましょう!
さて、前回は、みなさんにこんな質問をしたと思います。
みなさんは、今、幸せですか? それは、なぜですか?
みなさんの 将来の夢・ビジョン は、何ですか? どうして、それを達成したいのですか?
今の幸せと、将来の夢・ビジョンは、どのようにつながっていますか?
いきなりこんな質問をされて、ちょっと戸惑ったかもしれませんね。
実は、今回のテーマは、最近、僕自身、聖書を通して語られたことで、それをみなさんにシェアしようと思って、取り組んでみました。
というわけで、今回のテーマは、『 わたしのビジョン。神さまのビジョン 』 ですっ!!!
聖書箇所は、マタイ5章:1−12節 になります。
この箇所は、イエスさまの奇蹟を伝え聞いて集まってきた大勢の群集に対して、イエスさまが「どんな人が幸せなのか」について語られた有名なシーンです。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。
柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。
義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。
あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。
心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
喜びなさい。喜びおどりなさい。
天ではあなたがたの報いは大きいから。
あなたがたは、地の塩です。
あなたがたは、世界の光です。
あなたがたの光を人々の前に輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」
僕たちは、「今、幸せですか?」ときかれると、多くの人は、「とりあえず普通に生活できているから幸せかなあ」と思ったり、試験に合格したら、就職できたら、車を買えたら、結婚できたら、家を買えたら、子どもが生まれたら…、といった感じで、未来の何かを得ることができたら幸せになると考えてしまう。
けれど、イエスさまは、
心の貧しい人。能力も、健康も、お金も、家族も、何ももっていない人。
そして、今、苦しんでいる人、悲しんでいる人。
その人たちこそ、実は、一番幸せなのだという。
それは、今苦しみ・悲しみの中にいる人こそ、本当に神に祈り・求め、委ねることができるから。
そして、神さまは、いつも彼らを見ていて、その思いに、必ず答えてくださる、天国を与えてくださるから。
イエスさまの話を聞いていた人々には、自分の病気が癒されたい、貧しさから解放されたいなど、さまざまな思いがあった。
けれど、多くの人々に共通していた思い。それは、イエスさまが自分たちの救世主・王となって、ユダヤ民族をローマ帝国の支配から解放してくれることだった。
彼らと同様、僕たちも、神さまに祈るとき、ついつい、「試験に合格できますように」、「いい仕事が得られますように」、「幸せな結婚ができますように」など、自分のことだけを祈ってしまうことがある。
自分の思いに答えてくれる・願いをかなえてくれる存在、それが神さまだと思ってしまう。
その心の中には、貧しさ・病気を克服したら幸せになれる、あれを得られたらもっと幸せになれる、または、あれを得られなければ幸せにはなれない、といった思いがある。
でも、本当にそうだろうか?
たとえ、貧しさ・病気を克服しても、たとえ何かを得られた・達成したとしても、それで幸せになれるとはかぎらない。
それらを克服しても・達成しても、人間の孤独感・絶望感・むなしさ までは、うめあわせることができない。
それらは、何かで満たそうとしても満たすことはできない。
それらを本当の意味で満たしてくれるもの。それは、愛しかない。
僕らを本当の意味で満たしてくれるもの、それが愛だと思う。
イエスさまは、いつも神さまを愛していた。それは、自分がいつも神さまから愛されていることを知っていたから。自分が神さまから愛されて生まれてきたことを知っていたから。
イエスさまは、貧しさ・苦しさにあえぐ人々、愛を求める人々を見るたびに、何とかして彼らを救いたい、何とかして彼らに、神さまが愛しているということを伝えたい、と思われた。
神さまはいつもあなたのそばにいるよ。
あなたを心から愛しているよ。
そして、願った。
あなたの苦痛をすべて分かちあいたい。
あなたの苦痛を私にすべて背負わせてほしい。
そう願った。
イエスさまは、神さまのあふれる愛から生まれた。
神さまのあふれる愛は、いのちとなって、光となって、僕たちに与えられた。
イエスさまは、僕たちひとりひとりに語りかける。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。」
僕たちは、イエスさまのことばを聞くとき、神さまの愛を感じる。いのちを感じる。
そして、イエスさまは、僕たちひとりひとりに呼びかける。
「喜びなさい。喜びおどりなさい。
天ではあなたがたの報いは大きいから。」
「あなたがたは、地の塩です。
あなたがたは、世界の光です。
あなたがたの光を人々の前に輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」
神さまは、僕たちが今感じている幸せを、すべての人に望まれている。
互いに大切にしあう世界を実現するために、僕たちがこの世界の光、希望の光になることを望まれている。
僕たちは、イエスさまとともに歩むとき、本当のいのちを得る。
僕たちが、イエスさまの呼びかけに答える時、僕たちに、新しいいのちが与えられる。
あなたは、今、幸せですか?
あなたの ビジョン、それは何ですか?
「あなたのビジョン」 と 「神さまのビジョン」 、それはどのようにつながっていますか?
新緑の季節。さわやかなシーズンになってきましたね。
また、気分も新たに、はりきってやっていきましょう!
さて、前回は、みなさんにこんな質問をしたと思います。
みなさんは、今、幸せですか? それは、なぜですか?
みなさんの 将来の夢・ビジョン は、何ですか? どうして、それを達成したいのですか?
今の幸せと、将来の夢・ビジョンは、どのようにつながっていますか?
いきなりこんな質問をされて、ちょっと戸惑ったかもしれませんね。
実は、今回のテーマは、最近、僕自身、聖書を通して語られたことで、それをみなさんにシェアしようと思って、取り組んでみました。
というわけで、今回のテーマは、『 わたしのビジョン。神さまのビジョン 』 ですっ!!!
聖書箇所は、マタイ5章:1−12節 になります。
この箇所は、イエスさまの奇蹟を伝え聞いて集まってきた大勢の群集に対して、イエスさまが「どんな人が幸せなのか」について語られた有名なシーンです。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。
柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。
義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。
あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。
心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
喜びなさい。喜びおどりなさい。
天ではあなたがたの報いは大きいから。
あなたがたは、地の塩です。
あなたがたは、世界の光です。
あなたがたの光を人々の前に輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」
僕たちは、「今、幸せですか?」ときかれると、多くの人は、「とりあえず普通に生活できているから幸せかなあ」と思ったり、試験に合格したら、就職できたら、車を買えたら、結婚できたら、家を買えたら、子どもが生まれたら…、といった感じで、未来の何かを得ることができたら幸せになると考えてしまう。
けれど、イエスさまは、
心の貧しい人。能力も、健康も、お金も、家族も、何ももっていない人。
そして、今、苦しんでいる人、悲しんでいる人。
その人たちこそ、実は、一番幸せなのだという。
それは、今苦しみ・悲しみの中にいる人こそ、本当に神に祈り・求め、委ねることができるから。
そして、神さまは、いつも彼らを見ていて、その思いに、必ず答えてくださる、天国を与えてくださるから。
イエスさまの話を聞いていた人々には、自分の病気が癒されたい、貧しさから解放されたいなど、さまざまな思いがあった。
けれど、多くの人々に共通していた思い。それは、イエスさまが自分たちの救世主・王となって、ユダヤ民族をローマ帝国の支配から解放してくれることだった。
彼らと同様、僕たちも、神さまに祈るとき、ついつい、「試験に合格できますように」、「いい仕事が得られますように」、「幸せな結婚ができますように」など、自分のことだけを祈ってしまうことがある。
自分の思いに答えてくれる・願いをかなえてくれる存在、それが神さまだと思ってしまう。
その心の中には、貧しさ・病気を克服したら幸せになれる、あれを得られたらもっと幸せになれる、または、あれを得られなければ幸せにはなれない、といった思いがある。
でも、本当にそうだろうか?
たとえ、貧しさ・病気を克服しても、たとえ何かを得られた・達成したとしても、それで幸せになれるとはかぎらない。
それらを克服しても・達成しても、人間の孤独感・絶望感・むなしさ までは、うめあわせることができない。
それらは、何かで満たそうとしても満たすことはできない。
それらを本当の意味で満たしてくれるもの。それは、愛しかない。
僕らを本当の意味で満たしてくれるもの、それが愛だと思う。
イエスさまは、いつも神さまを愛していた。それは、自分がいつも神さまから愛されていることを知っていたから。自分が神さまから愛されて生まれてきたことを知っていたから。
イエスさまは、貧しさ・苦しさにあえぐ人々、愛を求める人々を見るたびに、何とかして彼らを救いたい、何とかして彼らに、神さまが愛しているということを伝えたい、と思われた。
神さまはいつもあなたのそばにいるよ。
あなたを心から愛しているよ。
そして、願った。
あなたの苦痛をすべて分かちあいたい。
あなたの苦痛を私にすべて背負わせてほしい。
そう願った。
イエスさまは、神さまのあふれる愛から生まれた。
神さまのあふれる愛は、いのちとなって、光となって、僕たちに与えられた。
イエスさまは、僕たちひとりひとりに語りかける。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。」
僕たちは、イエスさまのことばを聞くとき、神さまの愛を感じる。いのちを感じる。
そして、イエスさまは、僕たちひとりひとりに呼びかける。
「喜びなさい。喜びおどりなさい。
天ではあなたがたの報いは大きいから。」
「あなたがたは、地の塩です。
あなたがたは、世界の光です。
あなたがたの光を人々の前に輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」
神さまは、僕たちが今感じている幸せを、すべての人に望まれている。
互いに大切にしあう世界を実現するために、僕たちがこの世界の光、希望の光になることを望まれている。
僕たちは、イエスさまとともに歩むとき、本当のいのちを得る。
僕たちが、イエスさまの呼びかけに答える時、僕たちに、新しいいのちが与えられる。
あなたは、今、幸せですか?
あなたの ビジョン、それは何ですか?
「あなたのビジョン」 と 「神さまのビジョン」 、それはどのようにつながっていますか?
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