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これから洗礼を受けるみんなへ
みなさん、こんにちは。
今回は、今度の日曜日が「洗礼式」ということで、
急きょ、しゅうちゃんが、みんなへのメッセージを書いてきてくれました ♪
※ 洗礼式とは、イエスさまが、自分のためになくなってくれた、自分の救い主だと信じた人が、それを神さまとみんなの前で宣言する式。クリスチャンにとっては、第2の誕生日であり、結婚式みたいなものです。
それでは、レッツ・スタート !
☆ 去年、どうして洗礼を受けようと思ったのか?
実は、小生は去年受けた洗礼が2回目でした。
思えば、最初に洗礼を受けたのは1998年。
あのときは、神さんはいるんだ!ということははっきりと確信していたけれど、
それ以外は、深く考えてはいませんでした。
それでも、
学校とか、そういうのにアイデンティティを見いだせなかった小生にとっては、教会というものが、ずっと重要な存在であり続けたことは間違いないようです。
このチャーチに1年半ほど前にやってきた時、
これまでの薄っぺらな信仰のまま、ずるずるきたツケがまわってきたのかどうか知らないけれど、とにかく信仰においてきわめてぐらついていました。
そんな時に、パスターRuの「熱いクリスチャンになりたいなら、誰でも大歓迎!」という一言で、なんだか藁をもすがるような思いで、もう一度、神さんにしがみつきました。
それから1年半。振り返ってみると、ほんとうにハードな道も通されました。
が、それ以上に、自分でも明確に成長したな、という実感があります。
これは、神さんが当チャーチにおいて、すばらしい仲間を与えてくれたり、また仕事やらなにやらを通して、成長のチャンスを与えて下さったこと、そして、自分自身が、そのような神さんの導きをそれ以前と比べてはっきりと知ることができるようになったからではないか、と思っています。
そんなこんなで、やっぱり自分の信仰面で、かつてない大きな変化(というよりは、born againといったほうがニュアンスとしては近いかも)が起こり、ここはぜひ、できることなら、もう一度、洗礼を受けたい…という思いが芽生えました。
そのような時に、
「もしあなたにとって最初のバプテスマが何も意味しないなら、あるいはイエスから長い間離れていて戻ってきたのなら、2回バプテスマを受けてもいい。」
というようなくだりが、水曜礼拝の中であったので、小生でも受けられそうだな、と思ったわけです。
「これからは、神さんとともに、より一層すばらしい人生を送っていくぞ!ということを、再度告白したい」 という気持ちと、
「最初のバプテスマが何も意味しない、ということはないけれど、チャーチにはずっと行っていたとはいえ、今から比べると、なんだか半分以上イエスから離れていたも同然なんだよな…」 という思いを踏まえてのことでした。
☆ 洗礼をあらためて受けてどう変わったか?
洗礼を受けてどう変わっただろうか?と言われて、思うのは、
神さんとともに歩むということのよろこび、それを日々実感して歩んでいけること、でしょうか。
生きていると、いろいろと大変なこと、試練の類はたくさんあります。
しかし、
「私たちは、神様を愛し、神様のご計画どおりに歩んでいるなら、自分の身におこることはすべて、益となることを知っているのです。」
(ローマ8章28節)
こんな箇所もあるくらいですから、
神様と歩んでさえいれば、どんなことも益となる ということ。
また、 試練の中にあると、つらいことは変わらないけど、しかし、その中に神様の目的が確かにある ということ、
それが、おぼろげながらも見えてきた、ということが大きいですね。
何も見えず、ただつらいだけ、というのとは、根本的に違うし、それがないと耐えるのが大変。
これこそが、大きなポイントですね。
洗礼式、それは、クリスチャンにとっては、第2の誕生日・結婚式みたいなものです!!
ぜひ、みんなで、新しい家族のバースデー&ウエディングをお祝いしましょう!!!
今回は、今度の日曜日が「洗礼式」ということで、
急きょ、しゅうちゃんが、みんなへのメッセージを書いてきてくれました ♪
※ 洗礼式とは、イエスさまが、自分のためになくなってくれた、自分の救い主だと信じた人が、それを神さまとみんなの前で宣言する式。クリスチャンにとっては、第2の誕生日であり、結婚式みたいなものです。
それでは、レッツ・スタート !
☆ 去年、どうして洗礼を受けようと思ったのか?
実は、小生は去年受けた洗礼が2回目でした。
思えば、最初に洗礼を受けたのは1998年。
あのときは、神さんはいるんだ!ということははっきりと確信していたけれど、
それ以外は、深く考えてはいませんでした。
それでも、
学校とか、そういうのにアイデンティティを見いだせなかった小生にとっては、教会というものが、ずっと重要な存在であり続けたことは間違いないようです。
このチャーチに1年半ほど前にやってきた時、
これまでの薄っぺらな信仰のまま、ずるずるきたツケがまわってきたのかどうか知らないけれど、とにかく信仰においてきわめてぐらついていました。
そんな時に、パスターRuの「熱いクリスチャンになりたいなら、誰でも大歓迎!」という一言で、なんだか藁をもすがるような思いで、もう一度、神さんにしがみつきました。
それから1年半。振り返ってみると、ほんとうにハードな道も通されました。
が、それ以上に、自分でも明確に成長したな、という実感があります。
これは、神さんが当チャーチにおいて、すばらしい仲間を与えてくれたり、また仕事やらなにやらを通して、成長のチャンスを与えて下さったこと、そして、自分自身が、そのような神さんの導きをそれ以前と比べてはっきりと知ることができるようになったからではないか、と思っています。
そんなこんなで、やっぱり自分の信仰面で、かつてない大きな変化(というよりは、born againといったほうがニュアンスとしては近いかも)が起こり、ここはぜひ、できることなら、もう一度、洗礼を受けたい…という思いが芽生えました。
そのような時に、
「もしあなたにとって最初のバプテスマが何も意味しないなら、あるいはイエスから長い間離れていて戻ってきたのなら、2回バプテスマを受けてもいい。」
というようなくだりが、水曜礼拝の中であったので、小生でも受けられそうだな、と思ったわけです。
「これからは、神さんとともに、より一層すばらしい人生を送っていくぞ!ということを、再度告白したい」 という気持ちと、
「最初のバプテスマが何も意味しない、ということはないけれど、チャーチにはずっと行っていたとはいえ、今から比べると、なんだか半分以上イエスから離れていたも同然なんだよな…」 という思いを踏まえてのことでした。
☆ 洗礼をあらためて受けてどう変わったか?
洗礼を受けてどう変わっただろうか?と言われて、思うのは、
神さんとともに歩むということのよろこび、それを日々実感して歩んでいけること、でしょうか。
生きていると、いろいろと大変なこと、試練の類はたくさんあります。
しかし、
「私たちは、神様を愛し、神様のご計画どおりに歩んでいるなら、自分の身におこることはすべて、益となることを知っているのです。」
(ローマ8章28節)
こんな箇所もあるくらいですから、
神様と歩んでさえいれば、どんなことも益となる ということ。
また、 試練の中にあると、つらいことは変わらないけど、しかし、その中に神様の目的が確かにある ということ、
それが、おぼろげながらも見えてきた、ということが大きいですね。
何も見えず、ただつらいだけ、というのとは、根本的に違うし、それがないと耐えるのが大変。
これこそが、大きなポイントですね。
洗礼式、それは、クリスチャンにとっては、第2の誕生日・結婚式みたいなものです!!
ぜひ、みんなで、新しい家族のバースデー&ウエディングをお祝いしましょう!!!
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