イエスさまと生きる喜び(マイ・クリスチャンライフ)
みなさん、こんにちは!
お元気ですか? Jouです ☆
前回のお知らせどおり、今回が最終回になります。
今まで、約1年半、本当にありがとうございました。
今回は、最終回ということで、感謝の気持ちを込めて、1年分くらい ? 書きました (^o^)/!!!
テーマは、僕自身のクリスチャンライフ = 『 イエスさまと生きる喜び 』 についてですっ!!!
□ それでは、レッツ・スタート!
― イエスさまと生きる喜び(マイ・クリスチャンライフ)―
僕がクリスチャンになってから、もう3年が経ちました。
僕が教会に通うようになったのは、2004年のクリスマス、12月26日からでした。
教会に通うようになったきっかけは、外国人の方と英語でコミュニケーションをする機会が欲しかったということと、両親がともにクリスチャンということもあって、いずれは教会に通って、洗礼を受けるだろう、と思っていたからです。
洗礼は、その当時かよっていた教会で、2005年の5月15日、ペンテコスタ・サンデーの日に受けました。
この日は、ジーザスの弟子たちに、聖霊が下って、彼らが様々な言語で、神さまからの良い知らせを話しはじめた、とされる日で、教会の誕生日ともいわれています。
その当時、洗礼を受けてからずーと、イエスさまから 新しいいのち と 新しい生き方 をもらったから、いつも喜んで、もっと輝いて生きていきたい、と思っていました。
ただ、当時は、自分なりにいろいろとビジョン・思いがあったのですが、徐々に、毎週、教会に通って、賛美歌を歌って、メッセージを聞いて、たまにみんなとランチをして、教会の活動をして、といった感じで、なんとなく教会に行くこと自体が目的になってしまっていました。
そんな中、その教会でのクリスマスコンサートが終わったのを機に、以前から気になっていたジーザスライフハウス(JLH)に、行くことにしました(というのも、その教会にJLHから来た女の子がいたということと、JLHのメンバーとも以前、すでに会っていたからです)。
ジーザスライフハウスには、2005年の12月11日にはじめて来たんですが、
その時の印象は、教会の雰囲気が明るいなあ(若いなあ)、ということでした。
ワーシップが始まって、その日のファーストソングは、『 オール・デー』でした。
みんなが楽しそうにワーシップをしていて、「いつもっ、いつま〜でも、いつも → ワン・トゥー・スリー・フォー!!!」って感じで。ネ
その時、「おぉっ、ト。これは、俺がやりたかったことじゃないか。」って、思いました。
「やっぱ、日曜日は、イエスさまが復活した日だし、セレブレーション(お祝い・お祭り)、喜ぶといったことも必要だよな。」、って。
けど、同時に、「楽しいだけじゃなぁ。やっぱり、喜びと、感謝・賛美のバランスが大切だよ。」って、思ってました。
そしたら、そのあとの曲が、「レイン・ダウン・オン・ミー」で
( ※ 「注いで・満たして。自由は・そう、そこに。雨のよう、降り注いで。あなたの・その愛を。」という歌詞で、当時はよく歌っていました! )。
歌ってる最中、となりから、叫ぶ声がしたんですけど、それが、「クワン」(今はもう帰国しています)でした。
クワンが真剣に、全身で賛美していて、心から・魂から、イエスさまを求めていました。
僕は、以前の教会で、手を挙げて歌っている人はよく見かけたけど(彼らも真剣に賛美し、イエスさまを求めていました、けれども)、叫んで、ジーザスを求めている外国人には会ったことがなかったので、ああスゴイなぁと、感動しました。
そして、その時、「俺も彼みたいに、周りの人の目を気にしないで、神さまを直接賛美したい。心から・魂からイエスさまを求めたい。」 と思いました。
と同時に、「あぁ、俺はこのチャーチに来ることになるだろうなぁ。ただ、これから、両立していくとなると、大変だなぁ。」って、思ってました。
その当時から、僕自身、ずーと思っていることは、いままで自分は、イエスさまの愛を十分に感じることのないままに過ごしてきてしまっていたなあ、ということでした。
イエスさまは、僕のことをこんなにも愛してくださっているのに。
あふれるばかりの愛を、いつもいつも注いでくださっているのに。
なのに、自分は、イエスさまの愛を十分に受け取ってこなかった・求めていなかった。
だから、イエスさまの愛をまわりの人に、十分に伝えることができないし、伝えようという思いにもそれほどならなかった。
その結果として、イエスさまの愛に全く答え切れていなかった、と思っていました。
その後、Yとライフグループも始めて、ジーザスライフハウスに通っているうちに、徐々に、みんなといっしょにイエスさまのことを、イエスさまといっしょに生きることの喜びと希望を、ひとりでも多くの日本人に伝えていきたい と思うようになりました。
そこで、2年前のイースターの前に、思い切って、教会の牧師さんに、自分自身のことを伝えました。
その後、彼らから、「まず、Jouがクリスチャンとして人生の目的を見つけたことに、おめでとうといいたい。僕らは、君の決断をうれしく思っている。
ただ、自分たちが、Jouに充分ケアすることができなかったことは、申し訳なかった。
僕らは、Jouの姿に、いつも励まされてきた。ジーザスライフハウスにいっても、頑張って欲しい。
それと、ここは、Jouのホームなんだから、いつでもあそびに来なさい。僕らはいつでもウエルカムだから。」と言われました。
そして、友だちからも、他の方からも、「おめでとう!、僕たちはみんなイエスさまとつながっているんだから、兄弟姉妹なんだから。むこうに行っても頑張って!」と言われました。
本当に、以前の教会のみんな、そしてこのジーザスライフハウスのみんなと出会えたからこそ、今の自分があります。
そして、今、すべては、神さまから自分に与えられた恵みだった、と感じています。
僕はイエスさまを知って、本当に心が解き放たれました。
ワーシップを歌っているとき、僕は神さま・イエスさまと一つになります。
愛となり、喜びとなり、希望そのものになります。
聖書を読んでいるときや、祈っているとき、神さまを求めているとき、僕は神さまの愛につつまれ、本当に心のやすらぎを感じます。
そして、その度に、神さまが、僕に新しいいのちを与えてくれたことへの感謝と喜びで、胸がいっぱいになります。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネの福音書・3章16節)。
イエスさまは、僕たちを救うために来た。
神さまから離れてしまうことで生まれる、苦しみ・悲しみ・悩み・生きることのむなしさから、心を解き放つために来た。
僕たち一人一人が神さまから愛されていること、神さまといつもつながって、周りの人をお互いに思いやって・助け合っていくことの中に、人間の生きる意味・喜びがあること。
そして、神さまがいつもそばにいてくれて、一人一人に、最高の道を用意してくださっていることを伝えるために来た。
僕たちにそれらを伝えるために、新しいいのちを与えるために、イエスさまは、十字架に向かわれた。
十字架の先にある光輝く世界を、神さまが用意してくださっていること。
その世界で、神さまが、僕らを待っていることを伝えるために、十字架に向かわれた。
2000年経った今でも、この神さま・イエスさまの愛は変わらない。
変わらないどころか、時が経てば経つほど、その愛は光輝いていく。
そして、今、神さまが、イエスさまを通して、僕の、そして僕たちの人生を変えてくれた。
ありがとう、イエスさま!
今度は、夜空に輝く星々のように、僕たちがこの世界を照らしていくよ。
あなたの愛を伝えていくよ。
あなたといっしょに、生命が燃え尽きるその瞬間まで、照らしていくよ。
燃え尽きた後も、光となって照らしていくよ。
イエスさま、あなたの愛を僕たちに降り注いでください。
僕たちをあなたの愛の光で満たしてください。
イエスさま、僕たちは、あなたについていきます。
この素晴らしいチャーチと、素晴らしい多くの友だち、家族 をありがとうございます。
みんなで、この世界にいるクリスチャンみんなで、あなたの愛を、すべての人に伝えていきます。
この祈りを、主イエスさまの御名を通して、あなたに捧げます。アーメン。
☆ 最後に、長い間、このブログを読んでくれたみんな にメッセージがあります。
僕がクリスチャンになって、3年。
ジーザスライフハウスに来て、2年半が経ちました。
この間、僕は、神さまを通して、本当に変えられました。
けれど、これからが僕にとっての、そして僕たちにとっての、「本当のスタート」です!
みんなっ!、僕たち一人一人が核となって、お互いに高めあって、本当に、このジーザスライフハウスを、神さま・イエスさまの愛と情熱であふれたチャーチにしていこう!
いつも、いつも、神さま・イエスさまを求めて、ここに来たみんなが神さま・イエスさまを体験できる場、一人一人が本当に神さまから愛されていることを実感できる場にしていこうっ!!
これからも、神さまとイエスさまといっしょに、新しい世界を、生きる喜びにあふれた世界をつくっていこうっ!!!
☆ そして、これから、チャーチに、ジーザスライフハウスに来てみたいと思っているみなさんへ。
まず、チャーチ・クリスチャン = 宗教 じゃあ、ありませんっ!
自分たちの願い・願望を叶えてもらいたくて、神さまをクリエイトしたり、祈っているわけではないんです。
クリスチャン = 神さまのことが大好き、人々・みんなのことが大好きで、神さまから与えられた人生を最高にエンジョイしています!!!
僕たちは、神さまが僕たちに最高の未来を用意してくださっていることを、もうすでに知っているんです。
クリスチャンは、「神さま・イエスさまといっしょに、愛・喜びにあふれて生きる、輝いていきる」、そして「この喜びをひとりでも多くの人につたえるために生きる」という 新しいライフスタイルをおくっているんです!
クリスチャンとしてイエスさまといきる時、僕らは本当に自由になって、いつも愛・喜び・感謝で満たされます。
希望の光で満たされて、輝きだします。
あなたも、きっと、そんな体験をすると思います。
あなた自身が、この世界の光、希望の光になるんです。
あなたのことを、最高に暖かいチャーチ と、最高の仲間・家族 がまってます ☆
あなたと会える日を楽しみにしています ♪
□ おわりに。
みなさん、長い間、本当にありがとうございました(今まで記事を書いてくれたみんな。西東京チャーチブログとして自由にやらせてくださった竜太さん、ありがとう ☆ )!
ただ、何度もいいますが、これで終わりではなくて、これが 「新しいスタート」 になります!
というわけで、今日も、明日も、あさっても、
イエスさまといっしょに
「輝いて」生きていこうっ!!!
そして、また笑顔でチャーチで。
いつもイエスさまに感謝しつつ
⇒ ハレルーヤ!!!
Jouより。
お元気ですか? Jouです ☆
前回のお知らせどおり、今回が最終回になります。
今まで、約1年半、本当にありがとうございました。
今回は、最終回ということで、感謝の気持ちを込めて、1年分くらい ? 書きました (^o^)/!!!
テーマは、僕自身のクリスチャンライフ = 『 イエスさまと生きる喜び 』 についてですっ!!!
□ それでは、レッツ・スタート!
― イエスさまと生きる喜び(マイ・クリスチャンライフ)―
僕がクリスチャンになってから、もう3年が経ちました。
僕が教会に通うようになったのは、2004年のクリスマス、12月26日からでした。
教会に通うようになったきっかけは、外国人の方と英語でコミュニケーションをする機会が欲しかったということと、両親がともにクリスチャンということもあって、いずれは教会に通って、洗礼を受けるだろう、と思っていたからです。
洗礼は、その当時かよっていた教会で、2005年の5月15日、ペンテコスタ・サンデーの日に受けました。
この日は、ジーザスの弟子たちに、聖霊が下って、彼らが様々な言語で、神さまからの良い知らせを話しはじめた、とされる日で、教会の誕生日ともいわれています。
その当時、洗礼を受けてからずーと、イエスさまから 新しいいのち と 新しい生き方 をもらったから、いつも喜んで、もっと輝いて生きていきたい、と思っていました。
ただ、当時は、自分なりにいろいろとビジョン・思いがあったのですが、徐々に、毎週、教会に通って、賛美歌を歌って、メッセージを聞いて、たまにみんなとランチをして、教会の活動をして、といった感じで、なんとなく教会に行くこと自体が目的になってしまっていました。
そんな中、その教会でのクリスマスコンサートが終わったのを機に、以前から気になっていたジーザスライフハウス(JLH)に、行くことにしました(というのも、その教会にJLHから来た女の子がいたということと、JLHのメンバーとも以前、すでに会っていたからです)。
ジーザスライフハウスには、2005年の12月11日にはじめて来たんですが、
その時の印象は、教会の雰囲気が明るいなあ(若いなあ)、ということでした。
ワーシップが始まって、その日のファーストソングは、『 オール・デー』でした。
みんなが楽しそうにワーシップをしていて、「いつもっ、いつま〜でも、いつも → ワン・トゥー・スリー・フォー!!!」って感じで。ネ
その時、「おぉっ、ト。これは、俺がやりたかったことじゃないか。」って、思いました。
「やっぱ、日曜日は、イエスさまが復活した日だし、セレブレーション(お祝い・お祭り)、喜ぶといったことも必要だよな。」、って。
けど、同時に、「楽しいだけじゃなぁ。やっぱり、喜びと、感謝・賛美のバランスが大切だよ。」って、思ってました。
そしたら、そのあとの曲が、「レイン・ダウン・オン・ミー」で
( ※ 「注いで・満たして。自由は・そう、そこに。雨のよう、降り注いで。あなたの・その愛を。」という歌詞で、当時はよく歌っていました! )。
歌ってる最中、となりから、叫ぶ声がしたんですけど、それが、「クワン」(今はもう帰国しています)でした。
クワンが真剣に、全身で賛美していて、心から・魂から、イエスさまを求めていました。
僕は、以前の教会で、手を挙げて歌っている人はよく見かけたけど(彼らも真剣に賛美し、イエスさまを求めていました、けれども)、叫んで、ジーザスを求めている外国人には会ったことがなかったので、ああスゴイなぁと、感動しました。
そして、その時、「俺も彼みたいに、周りの人の目を気にしないで、神さまを直接賛美したい。心から・魂からイエスさまを求めたい。」 と思いました。
と同時に、「あぁ、俺はこのチャーチに来ることになるだろうなぁ。ただ、これから、両立していくとなると、大変だなぁ。」って、思ってました。
その当時から、僕自身、ずーと思っていることは、いままで自分は、イエスさまの愛を十分に感じることのないままに過ごしてきてしまっていたなあ、ということでした。
イエスさまは、僕のことをこんなにも愛してくださっているのに。
あふれるばかりの愛を、いつもいつも注いでくださっているのに。
なのに、自分は、イエスさまの愛を十分に受け取ってこなかった・求めていなかった。
だから、イエスさまの愛をまわりの人に、十分に伝えることができないし、伝えようという思いにもそれほどならなかった。
その結果として、イエスさまの愛に全く答え切れていなかった、と思っていました。
その後、Yとライフグループも始めて、ジーザスライフハウスに通っているうちに、徐々に、みんなといっしょにイエスさまのことを、イエスさまといっしょに生きることの喜びと希望を、ひとりでも多くの日本人に伝えていきたい と思うようになりました。
そこで、2年前のイースターの前に、思い切って、教会の牧師さんに、自分自身のことを伝えました。
その後、彼らから、「まず、Jouがクリスチャンとして人生の目的を見つけたことに、おめでとうといいたい。僕らは、君の決断をうれしく思っている。
ただ、自分たちが、Jouに充分ケアすることができなかったことは、申し訳なかった。
僕らは、Jouの姿に、いつも励まされてきた。ジーザスライフハウスにいっても、頑張って欲しい。
それと、ここは、Jouのホームなんだから、いつでもあそびに来なさい。僕らはいつでもウエルカムだから。」と言われました。
そして、友だちからも、他の方からも、「おめでとう!、僕たちはみんなイエスさまとつながっているんだから、兄弟姉妹なんだから。むこうに行っても頑張って!」と言われました。
本当に、以前の教会のみんな、そしてこのジーザスライフハウスのみんなと出会えたからこそ、今の自分があります。
そして、今、すべては、神さまから自分に与えられた恵みだった、と感じています。
僕はイエスさまを知って、本当に心が解き放たれました。
ワーシップを歌っているとき、僕は神さま・イエスさまと一つになります。
愛となり、喜びとなり、希望そのものになります。
聖書を読んでいるときや、祈っているとき、神さまを求めているとき、僕は神さまの愛につつまれ、本当に心のやすらぎを感じます。
そして、その度に、神さまが、僕に新しいいのちを与えてくれたことへの感謝と喜びで、胸がいっぱいになります。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネの福音書・3章16節)。
イエスさまは、僕たちを救うために来た。
神さまから離れてしまうことで生まれる、苦しみ・悲しみ・悩み・生きることのむなしさから、心を解き放つために来た。
僕たち一人一人が神さまから愛されていること、神さまといつもつながって、周りの人をお互いに思いやって・助け合っていくことの中に、人間の生きる意味・喜びがあること。
そして、神さまがいつもそばにいてくれて、一人一人に、最高の道を用意してくださっていることを伝えるために来た。
僕たちにそれらを伝えるために、新しいいのちを与えるために、イエスさまは、十字架に向かわれた。
十字架の先にある光輝く世界を、神さまが用意してくださっていること。
その世界で、神さまが、僕らを待っていることを伝えるために、十字架に向かわれた。
2000年経った今でも、この神さま・イエスさまの愛は変わらない。
変わらないどころか、時が経てば経つほど、その愛は光輝いていく。
そして、今、神さまが、イエスさまを通して、僕の、そして僕たちの人生を変えてくれた。
ありがとう、イエスさま!
今度は、夜空に輝く星々のように、僕たちがこの世界を照らしていくよ。
あなたの愛を伝えていくよ。
あなたといっしょに、生命が燃え尽きるその瞬間まで、照らしていくよ。
燃え尽きた後も、光となって照らしていくよ。
イエスさま、あなたの愛を僕たちに降り注いでください。
僕たちをあなたの愛の光で満たしてください。
イエスさま、僕たちは、あなたについていきます。
この素晴らしいチャーチと、素晴らしい多くの友だち、家族 をありがとうございます。
みんなで、この世界にいるクリスチャンみんなで、あなたの愛を、すべての人に伝えていきます。
この祈りを、主イエスさまの御名を通して、あなたに捧げます。アーメン。
☆ 最後に、長い間、このブログを読んでくれたみんな にメッセージがあります。
僕がクリスチャンになって、3年。
ジーザスライフハウスに来て、2年半が経ちました。
この間、僕は、神さまを通して、本当に変えられました。
けれど、これからが僕にとっての、そして僕たちにとっての、「本当のスタート」です!
みんなっ!、僕たち一人一人が核となって、お互いに高めあって、本当に、このジーザスライフハウスを、神さま・イエスさまの愛と情熱であふれたチャーチにしていこう!
いつも、いつも、神さま・イエスさまを求めて、ここに来たみんなが神さま・イエスさまを体験できる場、一人一人が本当に神さまから愛されていることを実感できる場にしていこうっ!!
これからも、神さまとイエスさまといっしょに、新しい世界を、生きる喜びにあふれた世界をつくっていこうっ!!!
☆ そして、これから、チャーチに、ジーザスライフハウスに来てみたいと思っているみなさんへ。
まず、チャーチ・クリスチャン = 宗教 じゃあ、ありませんっ!
自分たちの願い・願望を叶えてもらいたくて、神さまをクリエイトしたり、祈っているわけではないんです。
クリスチャン = 神さまのことが大好き、人々・みんなのことが大好きで、神さまから与えられた人生を最高にエンジョイしています!!!
僕たちは、神さまが僕たちに最高の未来を用意してくださっていることを、もうすでに知っているんです。
クリスチャンは、「神さま・イエスさまといっしょに、愛・喜びにあふれて生きる、輝いていきる」、そして「この喜びをひとりでも多くの人につたえるために生きる」という 新しいライフスタイルをおくっているんです!
クリスチャンとしてイエスさまといきる時、僕らは本当に自由になって、いつも愛・喜び・感謝で満たされます。
希望の光で満たされて、輝きだします。
あなたも、きっと、そんな体験をすると思います。
あなた自身が、この世界の光、希望の光になるんです。
あなたのことを、最高に暖かいチャーチ と、最高の仲間・家族 がまってます ☆
あなたと会える日を楽しみにしています ♪
□ おわりに。
みなさん、長い間、本当にありがとうございました(今まで記事を書いてくれたみんな。西東京チャーチブログとして自由にやらせてくださった竜太さん、ありがとう ☆ )!
ただ、何度もいいますが、これで終わりではなくて、これが 「新しいスタート」 になります!
というわけで、今日も、明日も、あさっても、
イエスさまといっしょに
「輝いて」生きていこうっ!!!
そして、また笑顔でチャーチで。
いつもイエスさまに感謝しつつ
⇒ ハレルーヤ!!!
Jouより。
― 大切なおしらせです! ―
みなさん、こんにちは。元気ですか ?
そして、今回、西東京チャーチがはじめての方、はじめまして。
今回は、突然ですが、みなさんに大切なおしらせがあります。
それは、この西東京チャーチブログが、次回の記事をもって、いったん終了するということです。
ブログが、としおさんの呼びかけではじまって以来、約1年半。
その間、ずーと応援してくれていたみなさん、本当にありがとうございました。
これからは、別の形になりますが、イエスさまといっしょに生きることの喜びを伝えるため、また新たな気持ちでやっていこうと思っています。
来週が、最後の記事になります。みなさん、よろしくお願いいたします。
ただ、あいかわらず、チャーチ自体は、楽しく、熱くやってますんで
⇒ みなさん、ぜひ西東京に遊びに来てください ♪
それでは、また。笑顔でチャーチで。 Jouより ☆
『 わたしのビジョン。神さまのビジョン 』
みなさん、元気ですか?
新緑の季節。さわやかなシーズンになってきましたね。
また、気分も新たに、はりきってやっていきましょう!
さて、前回は、みなさんにこんな質問をしたと思います。
みなさんは、今、幸せですか? それは、なぜですか?
みなさんの 将来の夢・ビジョン は、何ですか? どうして、それを達成したいのですか?
今の幸せと、将来の夢・ビジョンは、どのようにつながっていますか?
いきなりこんな質問をされて、ちょっと戸惑ったかもしれませんね。
実は、今回のテーマは、最近、僕自身、聖書を通して語られたことで、それをみなさんにシェアしようと思って、取り組んでみました。
というわけで、今回のテーマは、『 わたしのビジョン。神さまのビジョン 』 ですっ!!!
聖書箇所は、マタイ5章:1−12節 になります。
この箇所は、イエスさまの奇蹟を伝え聞いて集まってきた大勢の群集に対して、イエスさまが「どんな人が幸せなのか」について語られた有名なシーンです。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。
柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。
義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。
あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。
心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
喜びなさい。喜びおどりなさい。
天ではあなたがたの報いは大きいから。
あなたがたは、地の塩です。
あなたがたは、世界の光です。
あなたがたの光を人々の前に輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」
僕たちは、「今、幸せですか?」ときかれると、多くの人は、「とりあえず普通に生活できているから幸せかなあ」と思ったり、試験に合格したら、就職できたら、車を買えたら、結婚できたら、家を買えたら、子どもが生まれたら…、といった感じで、未来の何かを得ることができたら幸せになると考えてしまう。
けれど、イエスさまは、
心の貧しい人。能力も、健康も、お金も、家族も、何ももっていない人。
そして、今、苦しんでいる人、悲しんでいる人。
その人たちこそ、実は、一番幸せなのだという。
それは、今苦しみ・悲しみの中にいる人こそ、本当に神に祈り・求め、委ねることができるから。
そして、神さまは、いつも彼らを見ていて、その思いに、必ず答えてくださる、天国を与えてくださるから。
イエスさまの話を聞いていた人々には、自分の病気が癒されたい、貧しさから解放されたいなど、さまざまな思いがあった。
けれど、多くの人々に共通していた思い。それは、イエスさまが自分たちの救世主・王となって、ユダヤ民族をローマ帝国の支配から解放してくれることだった。
彼らと同様、僕たちも、神さまに祈るとき、ついつい、「試験に合格できますように」、「いい仕事が得られますように」、「幸せな結婚ができますように」など、自分のことだけを祈ってしまうことがある。
自分の思いに答えてくれる・願いをかなえてくれる存在、それが神さまだと思ってしまう。
その心の中には、貧しさ・病気を克服したら幸せになれる、あれを得られたらもっと幸せになれる、または、あれを得られなければ幸せにはなれない、といった思いがある。
でも、本当にそうだろうか?
たとえ、貧しさ・病気を克服しても、たとえ何かを得られた・達成したとしても、それで幸せになれるとはかぎらない。
それらを克服しても・達成しても、人間の孤独感・絶望感・むなしさ までは、うめあわせることができない。
それらは、何かで満たそうとしても満たすことはできない。
それらを本当の意味で満たしてくれるもの。それは、愛しかない。
僕らを本当の意味で満たしてくれるもの、それが愛だと思う。
イエスさまは、いつも神さまを愛していた。それは、自分がいつも神さまから愛されていることを知っていたから。自分が神さまから愛されて生まれてきたことを知っていたから。
イエスさまは、貧しさ・苦しさにあえぐ人々、愛を求める人々を見るたびに、何とかして彼らを救いたい、何とかして彼らに、神さまが愛しているということを伝えたい、と思われた。
神さまはいつもあなたのそばにいるよ。
あなたを心から愛しているよ。
そして、願った。
あなたの苦痛をすべて分かちあいたい。
あなたの苦痛を私にすべて背負わせてほしい。
そう願った。
イエスさまは、神さまのあふれる愛から生まれた。
神さまのあふれる愛は、いのちとなって、光となって、僕たちに与えられた。
イエスさまは、僕たちひとりひとりに語りかける。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。」
僕たちは、イエスさまのことばを聞くとき、神さまの愛を感じる。いのちを感じる。
そして、イエスさまは、僕たちひとりひとりに呼びかける。
「喜びなさい。喜びおどりなさい。
天ではあなたがたの報いは大きいから。」
「あなたがたは、地の塩です。
あなたがたは、世界の光です。
あなたがたの光を人々の前に輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」
神さまは、僕たちが今感じている幸せを、すべての人に望まれている。
互いに大切にしあう世界を実現するために、僕たちがこの世界の光、希望の光になることを望まれている。
僕たちは、イエスさまとともに歩むとき、本当のいのちを得る。
僕たちが、イエスさまの呼びかけに答える時、僕たちに、新しいいのちが与えられる。
あなたは、今、幸せですか?
あなたの ビジョン、それは何ですか?
「あなたのビジョン」 と 「神さまのビジョン」 、それはどのようにつながっていますか?
新緑の季節。さわやかなシーズンになってきましたね。
また、気分も新たに、はりきってやっていきましょう!
さて、前回は、みなさんにこんな質問をしたと思います。
みなさんは、今、幸せですか? それは、なぜですか?
みなさんの 将来の夢・ビジョン は、何ですか? どうして、それを達成したいのですか?
今の幸せと、将来の夢・ビジョンは、どのようにつながっていますか?
いきなりこんな質問をされて、ちょっと戸惑ったかもしれませんね。
実は、今回のテーマは、最近、僕自身、聖書を通して語られたことで、それをみなさんにシェアしようと思って、取り組んでみました。
というわけで、今回のテーマは、『 わたしのビジョン。神さまのビジョン 』 ですっ!!!
聖書箇所は、マタイ5章:1−12節 になります。
この箇所は、イエスさまの奇蹟を伝え聞いて集まってきた大勢の群集に対して、イエスさまが「どんな人が幸せなのか」について語られた有名なシーンです。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。
柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。
義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。
あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。
心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
喜びなさい。喜びおどりなさい。
天ではあなたがたの報いは大きいから。
あなたがたは、地の塩です。
あなたがたは、世界の光です。
あなたがたの光を人々の前に輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」
僕たちは、「今、幸せですか?」ときかれると、多くの人は、「とりあえず普通に生活できているから幸せかなあ」と思ったり、試験に合格したら、就職できたら、車を買えたら、結婚できたら、家を買えたら、子どもが生まれたら…、といった感じで、未来の何かを得ることができたら幸せになると考えてしまう。
けれど、イエスさまは、
心の貧しい人。能力も、健康も、お金も、家族も、何ももっていない人。
そして、今、苦しんでいる人、悲しんでいる人。
その人たちこそ、実は、一番幸せなのだという。
それは、今苦しみ・悲しみの中にいる人こそ、本当に神に祈り・求め、委ねることができるから。
そして、神さまは、いつも彼らを見ていて、その思いに、必ず答えてくださる、天国を与えてくださるから。
イエスさまの話を聞いていた人々には、自分の病気が癒されたい、貧しさから解放されたいなど、さまざまな思いがあった。
けれど、多くの人々に共通していた思い。それは、イエスさまが自分たちの救世主・王となって、ユダヤ民族をローマ帝国の支配から解放してくれることだった。
彼らと同様、僕たちも、神さまに祈るとき、ついつい、「試験に合格できますように」、「いい仕事が得られますように」、「幸せな結婚ができますように」など、自分のことだけを祈ってしまうことがある。
自分の思いに答えてくれる・願いをかなえてくれる存在、それが神さまだと思ってしまう。
その心の中には、貧しさ・病気を克服したら幸せになれる、あれを得られたらもっと幸せになれる、または、あれを得られなければ幸せにはなれない、といった思いがある。
でも、本当にそうだろうか?
たとえ、貧しさ・病気を克服しても、たとえ何かを得られた・達成したとしても、それで幸せになれるとはかぎらない。
それらを克服しても・達成しても、人間の孤独感・絶望感・むなしさ までは、うめあわせることができない。
それらは、何かで満たそうとしても満たすことはできない。
それらを本当の意味で満たしてくれるもの。それは、愛しかない。
僕らを本当の意味で満たしてくれるもの、それが愛だと思う。
イエスさまは、いつも神さまを愛していた。それは、自分がいつも神さまから愛されていることを知っていたから。自分が神さまから愛されて生まれてきたことを知っていたから。
イエスさまは、貧しさ・苦しさにあえぐ人々、愛を求める人々を見るたびに、何とかして彼らを救いたい、何とかして彼らに、神さまが愛しているということを伝えたい、と思われた。
神さまはいつもあなたのそばにいるよ。
あなたを心から愛しているよ。
そして、願った。
あなたの苦痛をすべて分かちあいたい。
あなたの苦痛を私にすべて背負わせてほしい。
そう願った。
イエスさまは、神さまのあふれる愛から生まれた。
神さまのあふれる愛は、いのちとなって、光となって、僕たちに与えられた。
イエスさまは、僕たちひとりひとりに語りかける。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。」
僕たちは、イエスさまのことばを聞くとき、神さまの愛を感じる。いのちを感じる。
そして、イエスさまは、僕たちひとりひとりに呼びかける。
「喜びなさい。喜びおどりなさい。
天ではあなたがたの報いは大きいから。」
「あなたがたは、地の塩です。
あなたがたは、世界の光です。
あなたがたの光を人々の前に輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」
神さまは、僕たちが今感じている幸せを、すべての人に望まれている。
互いに大切にしあう世界を実現するために、僕たちがこの世界の光、希望の光になることを望まれている。
僕たちは、イエスさまとともに歩むとき、本当のいのちを得る。
僕たちが、イエスさまの呼びかけに答える時、僕たちに、新しいいのちが与えられる。
あなたは、今、幸せですか?
あなたの ビジョン、それは何ですか?
「あなたのビジョン」 と 「神さまのビジョン」 、それはどのようにつながっていますか?
一番大切なこと!
― 4月14日(月) のお知らせ ―
☆ 前回、第1回目の西東京サービスの様子についてアップするとお伝えしましたが、僕自身、途中参加になってしまい、書けませんでした。
というわけで、いずみちゃんのブログを見てみてください。とにかく盛り上がりました。
⇒http://izumisydney.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/saturday_night__b91c.html
来週は、水曜日以降のアップになりますが、「幸せ」 というテーマで書きたいと思います。けど、その前に、みなさんに宿題で〜す♪
1 みなさんは、今幸せですか? 幸せだとしたら、その理由はなんですか?
2 みなさんの将来のビジョン・目標は何ですか? その理由はなんですか?
3 みなさんの将来のビジョン・目標と、今の幸せ(もしくは不幸せ?)な気持ちは、どうつながっていますか? 将来のビジョン・目標が達成できれば、もっと幸せになる、もしくは(今幸せと感じていない方は)幸せになるという意見以外に何か考えつけば、挙げてみてください。
ちょっと考えてみてください。 それでは、お楽しみに ☆
☆ 前回の記事:まだ読んでいない方はどうぞ ↓
みなさん、いよいよ 4月12日(土)、午後6時から、西東京チャーチが新しくスタートします!!!
場所は、ひばりヶ丘北口のミューズホール(北口正面。正育堂書店さんの裏側・3階)です!
最高にダイナミックなワーシップミュージックと、笑いあり・涙ときどきありのパワフルなメッセージが、あなたの人生を「変えます」!!!
もっと喜びにあふれた人生をおくりたーい! と思っている方は、ぜひぜひ遊びに来てください ☆
あふれる笑顔とお菓子で待ってま〜す ♪
というわけで、新しいシーズンに入りました。みなさん、お元気ですか?
今回は、この忙しい 変化のシーズン の中、『 良いほうを選ぶ 』ことの大切さ について、竜太さんからメッセージがありました。
そこで、この記事では、メッセージを受けて、僕(Jou)なりにまとめてみました。
バイブル箇所は、ルカ10章:38−42節 です。
… イエスがある村に入られると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。
彼女にマリヤという妹がいたが、主(イエス)の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。
ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。
「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」
主は答えて言われた。
「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
実は、この箇所は、その1つ前の箇所の 問い
「何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」の答え になっているといわれています。
そこでは、その答えとして、
『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性をつくして、あなたの神である主を愛せよ。』 また、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』(ルカ10:27)
とあって、「 第1に、神さまを愛しなさい。第2に、隣の人を愛しなさい。そうすれば、永遠のいのちが得られる。」 と書かれています。
そして、ここでいう隣の人とは、自分の家族・友だち・好きな人だけでなく、ふだん嫌っている人も含むんだよと、たとえ話を使って教えてくれます。
それを受けて、イエスさまが、今回のこの箇所を通して教えてくれたことは、
大切なこと・良いことはいくつかある。でも、本当に必要なことは、実は、1つだけ。
それは、「 神さまを愛すること。神さまのもとに来て、そのことばに聞き入る。」、ということです。
僕たちは、マルタのように、ふだん何かをするとき、心のどこかで、「これだけ頑張ったんだから必ず報われる。もしくは、報われるべきだ」 と思っている。
だから、自分が努力しても正当に評価されないときに、どうしても、 「自分はこんなにやっているのに、どうして…」とか、「自分はちゃんとやっているのに、あの人はやってくれない」、または、「あの人のせいで、自分は今こんな目にあっている」と思ってしまう。
そして、「自分のことを分かってほしい。なんで分かってくれないのか」と、自分のことばかりを考えてしまいがち になってしまう。
また、そういった状態が続くうちに、「どうせ何を言っても・やってもだめ」と思って、夢や目標をあきらめてしまったり、逆に、夢や目標を達成することだけが目的になってしまい、何のために夢や目標を達成したいのかを見失ってしまう。
自分は本当はどうなりたいのか・どうすべきなのかではなく、自分と周りの人を比べてしまい、「自分の方が優れている・きちんとやっている。だから、自分を評価してほしい・評価されるべきだ。」と思ってしまう。
けれど、イエスさまは、そんな僕たちに、静かに語ってくださる。
「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
必要なのは、立ち止まって、イエスさまに近づくこと。
イエスさまのメッセージを聞くこと。聞き入ること。
イエスさまは、いつも僕たちのことを見ていてくださる。すべてを知っていてくださる。
そして、僕たちに、いつも、近くに来て欲しいと願っている。話しを聞いてほしいと願っている。
マルタ、あなたがわたしのためにやってくれていることはわかっているよ。
きみの気持ちだけでうれしいよ。
だから、もう大丈夫。早く、わたしのところに来なさい。
あわただしく過ごしている時に、いつも思い起こす バイブルのエピソード です。
この時期、みなさん、いろいろと忙しいと思います。
けれど、たまには、ちょっと一息ついて、考えてみませんか ?
「本当に大切なこと」って、なんだろう ?
「本当にしたいこと、本当にすべきこと」って、なんだろうか? と。
そして、一息ついたら、また元気にやっていきましょう ♪
というわけで、以上です。 じゃまた、みなさん、笑顔で土曜日に ☆☆☆
次回は、記念すべき 第1回目の様子 と オープニングメッセージ をアップしま〜す ♪ お楽しみに〜 ♪
☆ 前回、第1回目の西東京サービスの様子についてアップするとお伝えしましたが、僕自身、途中参加になってしまい、書けませんでした。
というわけで、いずみちゃんのブログを見てみてください。とにかく盛り上がりました。
⇒http://izumisydney.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/saturday_night__b91c.html
来週は、水曜日以降のアップになりますが、「幸せ」 というテーマで書きたいと思います。けど、その前に、みなさんに宿題で〜す♪
1 みなさんは、今幸せですか? 幸せだとしたら、その理由はなんですか?
2 みなさんの将来のビジョン・目標は何ですか? その理由はなんですか?
3 みなさんの将来のビジョン・目標と、今の幸せ(もしくは不幸せ?)な気持ちは、どうつながっていますか? 将来のビジョン・目標が達成できれば、もっと幸せになる、もしくは(今幸せと感じていない方は)幸せになるという意見以外に何か考えつけば、挙げてみてください。
ちょっと考えてみてください。 それでは、お楽しみに ☆
☆ 前回の記事:まだ読んでいない方はどうぞ ↓
みなさん、いよいよ 4月12日(土)、午後6時から、西東京チャーチが新しくスタートします!!!
場所は、ひばりヶ丘北口のミューズホール(北口正面。正育堂書店さんの裏側・3階)です!
最高にダイナミックなワーシップミュージックと、笑いあり・涙ときどきありのパワフルなメッセージが、あなたの人生を「変えます」!!!
もっと喜びにあふれた人生をおくりたーい! と思っている方は、ぜひぜひ遊びに来てください ☆
あふれる笑顔とお菓子で待ってま〜す ♪
というわけで、新しいシーズンに入りました。みなさん、お元気ですか?
今回は、この忙しい 変化のシーズン の中、『 良いほうを選ぶ 』ことの大切さ について、竜太さんからメッセージがありました。
そこで、この記事では、メッセージを受けて、僕(Jou)なりにまとめてみました。
バイブル箇所は、ルカ10章:38−42節 です。
… イエスがある村に入られると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。
彼女にマリヤという妹がいたが、主(イエス)の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。
ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。
「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」
主は答えて言われた。
「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
実は、この箇所は、その1つ前の箇所の 問い
「何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」の答え になっているといわれています。
そこでは、その答えとして、
『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性をつくして、あなたの神である主を愛せよ。』 また、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』(ルカ10:27)
とあって、「 第1に、神さまを愛しなさい。第2に、隣の人を愛しなさい。そうすれば、永遠のいのちが得られる。」 と書かれています。
そして、ここでいう隣の人とは、自分の家族・友だち・好きな人だけでなく、ふだん嫌っている人も含むんだよと、たとえ話を使って教えてくれます。
それを受けて、イエスさまが、今回のこの箇所を通して教えてくれたことは、
大切なこと・良いことはいくつかある。でも、本当に必要なことは、実は、1つだけ。
それは、「 神さまを愛すること。神さまのもとに来て、そのことばに聞き入る。」、ということです。
僕たちは、マルタのように、ふだん何かをするとき、心のどこかで、「これだけ頑張ったんだから必ず報われる。もしくは、報われるべきだ」 と思っている。
だから、自分が努力しても正当に評価されないときに、どうしても、 「自分はこんなにやっているのに、どうして…」とか、「自分はちゃんとやっているのに、あの人はやってくれない」、または、「あの人のせいで、自分は今こんな目にあっている」と思ってしまう。
そして、「自分のことを分かってほしい。なんで分かってくれないのか」と、自分のことばかりを考えてしまいがち になってしまう。
また、そういった状態が続くうちに、「どうせ何を言っても・やってもだめ」と思って、夢や目標をあきらめてしまったり、逆に、夢や目標を達成することだけが目的になってしまい、何のために夢や目標を達成したいのかを見失ってしまう。
自分は本当はどうなりたいのか・どうすべきなのかではなく、自分と周りの人を比べてしまい、「自分の方が優れている・きちんとやっている。だから、自分を評価してほしい・評価されるべきだ。」と思ってしまう。
けれど、イエスさまは、そんな僕たちに、静かに語ってくださる。
「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
必要なのは、立ち止まって、イエスさまに近づくこと。
イエスさまのメッセージを聞くこと。聞き入ること。
イエスさまは、いつも僕たちのことを見ていてくださる。すべてを知っていてくださる。
そして、僕たちに、いつも、近くに来て欲しいと願っている。話しを聞いてほしいと願っている。
マルタ、あなたがわたしのためにやってくれていることはわかっているよ。
きみの気持ちだけでうれしいよ。
だから、もう大丈夫。早く、わたしのところに来なさい。
あわただしく過ごしている時に、いつも思い起こす バイブルのエピソード です。
この時期、みなさん、いろいろと忙しいと思います。
けれど、たまには、ちょっと一息ついて、考えてみませんか ?
「本当に大切なこと」って、なんだろう ?
「本当にしたいこと、本当にすべきこと」って、なんだろうか? と。
そして、一息ついたら、また元気にやっていきましょう ♪
というわけで、以上です。 じゃまた、みなさん、笑顔で土曜日に ☆☆☆
次回は、記念すべき 第1回目の様子 と オープニングメッセージ をアップしま〜す ♪ お楽しみに〜 ♪
これから洗礼を受けるみんなへ
みなさん、こんにちは。
今回は、今度の日曜日が「洗礼式」ということで、
急きょ、しゅうちゃんが、みんなへのメッセージを書いてきてくれました ♪
※ 洗礼式とは、イエスさまが、自分のためになくなってくれた、自分の救い主だと信じた人が、それを神さまとみんなの前で宣言する式。クリスチャンにとっては、第2の誕生日であり、結婚式みたいなものです。
それでは、レッツ・スタート !
☆ 去年、どうして洗礼を受けようと思ったのか?
実は、小生は去年受けた洗礼が2回目でした。
思えば、最初に洗礼を受けたのは1998年。
あのときは、神さんはいるんだ!ということははっきりと確信していたけれど、
それ以外は、深く考えてはいませんでした。
それでも、
学校とか、そういうのにアイデンティティを見いだせなかった小生にとっては、教会というものが、ずっと重要な存在であり続けたことは間違いないようです。
このチャーチに1年半ほど前にやってきた時、
これまでの薄っぺらな信仰のまま、ずるずるきたツケがまわってきたのかどうか知らないけれど、とにかく信仰においてきわめてぐらついていました。
そんな時に、パスターRuの「熱いクリスチャンになりたいなら、誰でも大歓迎!」という一言で、なんだか藁をもすがるような思いで、もう一度、神さんにしがみつきました。
それから1年半。振り返ってみると、ほんとうにハードな道も通されました。
が、それ以上に、自分でも明確に成長したな、という実感があります。
これは、神さんが当チャーチにおいて、すばらしい仲間を与えてくれたり、また仕事やらなにやらを通して、成長のチャンスを与えて下さったこと、そして、自分自身が、そのような神さんの導きをそれ以前と比べてはっきりと知ることができるようになったからではないか、と思っています。
そんなこんなで、やっぱり自分の信仰面で、かつてない大きな変化(というよりは、born againといったほうがニュアンスとしては近いかも)が起こり、ここはぜひ、できることなら、もう一度、洗礼を受けたい…という思いが芽生えました。
そのような時に、
「もしあなたにとって最初のバプテスマが何も意味しないなら、あるいはイエスから長い間離れていて戻ってきたのなら、2回バプテスマを受けてもいい。」
というようなくだりが、水曜礼拝の中であったので、小生でも受けられそうだな、と思ったわけです。
「これからは、神さんとともに、より一層すばらしい人生を送っていくぞ!ということを、再度告白したい」 という気持ちと、
「最初のバプテスマが何も意味しない、ということはないけれど、チャーチにはずっと行っていたとはいえ、今から比べると、なんだか半分以上イエスから離れていたも同然なんだよな…」 という思いを踏まえてのことでした。
☆ 洗礼をあらためて受けてどう変わったか?
洗礼を受けてどう変わっただろうか?と言われて、思うのは、
神さんとともに歩むということのよろこび、それを日々実感して歩んでいけること、でしょうか。
生きていると、いろいろと大変なこと、試練の類はたくさんあります。
しかし、
「私たちは、神様を愛し、神様のご計画どおりに歩んでいるなら、自分の身におこることはすべて、益となることを知っているのです。」
(ローマ8章28節)
こんな箇所もあるくらいですから、
神様と歩んでさえいれば、どんなことも益となる ということ。
また、 試練の中にあると、つらいことは変わらないけど、しかし、その中に神様の目的が確かにある ということ、
それが、おぼろげながらも見えてきた、ということが大きいですね。
何も見えず、ただつらいだけ、というのとは、根本的に違うし、それがないと耐えるのが大変。
これこそが、大きなポイントですね。
洗礼式、それは、クリスチャンにとっては、第2の誕生日・結婚式みたいなものです!!
ぜひ、みんなで、新しい家族のバースデー&ウエディングをお祝いしましょう!!!
今回は、今度の日曜日が「洗礼式」ということで、
急きょ、しゅうちゃんが、みんなへのメッセージを書いてきてくれました ♪
※ 洗礼式とは、イエスさまが、自分のためになくなってくれた、自分の救い主だと信じた人が、それを神さまとみんなの前で宣言する式。クリスチャンにとっては、第2の誕生日であり、結婚式みたいなものです。
それでは、レッツ・スタート !
☆ 去年、どうして洗礼を受けようと思ったのか?
実は、小生は去年受けた洗礼が2回目でした。
思えば、最初に洗礼を受けたのは1998年。
あのときは、神さんはいるんだ!ということははっきりと確信していたけれど、
それ以外は、深く考えてはいませんでした。
それでも、
学校とか、そういうのにアイデンティティを見いだせなかった小生にとっては、教会というものが、ずっと重要な存在であり続けたことは間違いないようです。
このチャーチに1年半ほど前にやってきた時、
これまでの薄っぺらな信仰のまま、ずるずるきたツケがまわってきたのかどうか知らないけれど、とにかく信仰においてきわめてぐらついていました。
そんな時に、パスターRuの「熱いクリスチャンになりたいなら、誰でも大歓迎!」という一言で、なんだか藁をもすがるような思いで、もう一度、神さんにしがみつきました。
それから1年半。振り返ってみると、ほんとうにハードな道も通されました。
が、それ以上に、自分でも明確に成長したな、という実感があります。
これは、神さんが当チャーチにおいて、すばらしい仲間を与えてくれたり、また仕事やらなにやらを通して、成長のチャンスを与えて下さったこと、そして、自分自身が、そのような神さんの導きをそれ以前と比べてはっきりと知ることができるようになったからではないか、と思っています。
そんなこんなで、やっぱり自分の信仰面で、かつてない大きな変化(というよりは、born againといったほうがニュアンスとしては近いかも)が起こり、ここはぜひ、できることなら、もう一度、洗礼を受けたい…という思いが芽生えました。
そのような時に、
「もしあなたにとって最初のバプテスマが何も意味しないなら、あるいはイエスから長い間離れていて戻ってきたのなら、2回バプテスマを受けてもいい。」
というようなくだりが、水曜礼拝の中であったので、小生でも受けられそうだな、と思ったわけです。
「これからは、神さんとともに、より一層すばらしい人生を送っていくぞ!ということを、再度告白したい」 という気持ちと、
「最初のバプテスマが何も意味しない、ということはないけれど、チャーチにはずっと行っていたとはいえ、今から比べると、なんだか半分以上イエスから離れていたも同然なんだよな…」 という思いを踏まえてのことでした。
☆ 洗礼をあらためて受けてどう変わったか?
洗礼を受けてどう変わっただろうか?と言われて、思うのは、
神さんとともに歩むということのよろこび、それを日々実感して歩んでいけること、でしょうか。
生きていると、いろいろと大変なこと、試練の類はたくさんあります。
しかし、
「私たちは、神様を愛し、神様のご計画どおりに歩んでいるなら、自分の身におこることはすべて、益となることを知っているのです。」
(ローマ8章28節)
こんな箇所もあるくらいですから、
神様と歩んでさえいれば、どんなことも益となる ということ。
また、 試練の中にあると、つらいことは変わらないけど、しかし、その中に神様の目的が確かにある ということ、
それが、おぼろげながらも見えてきた、ということが大きいですね。
何も見えず、ただつらいだけ、というのとは、根本的に違うし、それがないと耐えるのが大変。
これこそが、大きなポイントですね。
洗礼式、それは、クリスチャンにとっては、第2の誕生日・結婚式みたいなものです!!
ぜひ、みんなで、新しい家族のバースデー&ウエディングをお祝いしましょう!!!





